近年、企業経営において「ダイバーシティ経営」という言葉が注目を集めている。少子高齢化やグローバル化、価値観の多様化が進む中で、性別や年齢、国籍、障がいの有無、性的指向など、多様な人材を受け入れ、その力を活かすことが企業の競争力に直結する時代となった。
特に人的資本経営やESG経営といった新たな経営指標が重視される中で、ダイバーシティは単なる人事施策ではなく、経営戦略の中核を担う要素となっている。
本記事では、ダイバーシティ経営の基本的な考え方から、D&I、DE&IやDEI&Bといった関連用語の解説、そして日本企業の現状や今後の展望などを解説する。
ダイバーシティ経営とは
ダイバーシティとは、「多様性」を意味する言葉であり、性別や年齢、国籍、人種、宗教、障がいの有無、性的指向、価値観など、個人が持つさまざまな違いを尊重する考え方である。
日本社会においても、少子高齢化やグローバル化、価値観の多様化が進む中で、こうした多様性を受け入れることが、社会全体の持続可能性やイノベーションの源泉として注目されている。このような背景の中で登場したのが「ダイバーシティ経営」である。
ダイバーシティ経営とは、多様な人材を積極的に受け入れ、その能力を最大限に活かすことで、企業の競争力や持続的成長を実現しようとする経営手法である。経済産業省はこれを「多様な人材を活かし、その能力が最大限発揮できる機会を提供することで、イノベーションを生み出し、価値創造につなげている経営」と定義しており、単なる人事施策ではなく、経営戦略の一環として位置づけている(経済産業省「ダイバーシティ経営の推進」)。
ダイバーシティ経営が企業にもたらす価値は多岐にわたる。異なる視点や経験を持つ人材が集まることで、イノベーションの創出や問題解決力の向上が期待できる。また、従業員のエンゲージメントや満足度の向上、企業のブランド価値の強化にもつながる。さらに、グローバル市場においては、多様な人材が顧客ニーズの把握や現地対応力の強化に貢献する。
ただし、ダイバーシティ経営は単に「人材の多様化」を図るだけでは不十分である。多様性を活かすためには、制度や文化、マネジメントの在り方を見直し、誰もが安心して働ける職場環境を整備することが不可欠である。
知っておきたい概念の整理
ダイバーシティ経営を理解するうえで欠かせないのが、「D&I」「DEI」「DEI&B」といった概念である。これらはすべて、多様性を活かすための組織づくりに関する考え方だ。
ダイバーシティ&インクルージョンとは
ダイバーシティ&インクルージョン(Diversity & Inclusion)とは、もっとも基本的な枠組みである。Diversity(多様性)は、性別や年齢、国籍、障がいの有無、性的指向など、個人の違いを尊重することを意味する。
一方、Inclusion(包摂)は、そうした多様な人々が組織の中で受け入れられ、活躍できる環境を整えることを指す。単に多様な人材を集めるだけでなく、彼らが安心して意見を述べ、能力を発揮できる状態をつくることが重要である。
DEIとは
DEIとは、Diversity、Equity、Inclusionの頭文字をとったもので、多様性と包摂を示すD&I(Diversity & Inclusion)に「Equity(エクイティ:公平性)」の視点を加えたものである。Equityは、すべての人が平等な機会を得られるように、個々の状況に応じた支援や配慮を行うことを意味する。
たとえば、障がいのある社員に対して合理的配慮を提供したり、育児中の社員に柔軟な勤務制度を設けたりすることが該当する。Equityは、単なる「平等(Equality)」とは異なり、個別のニーズに応じた対応を重視する点が特徴である。
DEI&Bとは
さらに近年注目されているのがDEI&Bである。これはDiversity、Equity、Inclusion、Belongingの頭文字をとったもので、多様性、公平性、包摂を意味するDE&IにBelonging(ビロンギング:帰属意識)の視点を加えたものだ。
Belongingは、従業員が組織の中で「自分は受け入れられている」「ここにいてよい」と感じられる心理的な状態を指す。
多様な人材がいるだけでなく、彼らが「自分の居場所がある」と感じられることが、真の意味でのダイバーシティ経営の実現には不可欠である。心理的安全性やエンゲージメントの向上にも直結する概念であり、特にZ世代やミレニアル世代の価値観とも親和性が高い。
これらの概念は、段階的に進化してきた。まとめると、D&Iは「多様性と包摂」を意味し、多様な人材を受け入れるという「入り口」となっている。また、DEIは「多様性、公平性、包摂」を意味し公平性を担保する制度と支援という「仕組み」と言える。そして、DEI&Bは「帰属意識を含む包摂的な文化」を意味しており、誰もが「ここにいてよい」と感じる「組織風土」と言えるだろう。
D&I、DEI、DEI&Bの概念整理
企業がダイバーシティ経営を推進する際には、単なる人材の多様化にとどまらず、制度設計や組織文化の醸成までを視野に入れる必要がある。
日本企業におけるダイバーシティ推進の現状
日本企業におけるダイバーシティ経営の取り組みは、近年ようやく本格化しつつあるが、国際的に見ると依然として課題が多い。特に、女性管理職比率や障がい者雇用、外国人労働者の受け入れといった指標において、日本はOECD諸国の中でも低水準にとどまっている。
女性管理職比率
内閣府の「男女共同参画白書(令和6年版)」によれば、日本の女性管理職比率は2023年時点で14.6%にとどまっており、諸外国の平均が30.0%程度であることを鑑みると、企業における女性管理職の登用には依然として課題が残る。【図1】
一方で、政府は「2030年までに女性役員比率30%」という目標を掲げており、その達成にはさらなる取り組みが求められている(内閣府 男女共同参画白書(令和6年版))。
障がい者雇用
国によって障がい者雇用政策の方針が異なり、一律に国際比較ができないため、日本と同様に「法定雇用率」を設定しているドイツ、フランスならびに、雇用目標を設定しているアメリカと比較する。
厚生労働省によると以下のように報告されている。
日本の場合
- 法定雇用率 2.5%(2024年度)
- 実雇用率 2.41%(2024年6月1日時点)
- 達成企業割合 46.0%(2024年6月1日時点)
ドイツの場合
- 法定雇用率5%※
- 達成企業割合38.5%(2022年時点)
※20ポスト以上40ポスト未満の企業などについては1人以上、40ポスト以上60ポスト未満の企業などについては2人以上。法定雇用率の設定方法は、公表なし。
フランスの場合
- 法定雇用率6%
- 実雇用率3.6%
- 達成企業割合31%(2023年時点)
アメリカの場合
雇用目標
- 連邦政府12%(障害種別にて特定。うち2%分は重度障がい者の雇用が求められる。)
- 連邦政府の請負業者および下請け業者に7%を設定
このように見ると、法定雇用率を達成している企業の割合はドイツ、フランスに比べて高いものの、そもそも設定されている法定雇用率は低い。
法定雇用率については、今後も引き上げが予定されており、2026年7月には現状の2.5%から2.7%となるが、ドイツ、フランスの水準には達しておらず、アメリカとの差は特に大きい。
(参考資料)「障害者の法定雇用率引き上げと支援策の強化について」(厚生労働省)
外国人労働者
日本における外国人労働者の割合は2022年時点で約2.0%にとどまっており、OECD諸国の中でも低い水準にあることがわかる。
たとえば、ルクセンブルクでは、外国人労働者が全就業者の約6割を占めており、OECD諸国の中でもっとも高い水準にあるが、これは、EU域内の自由移動制度や周辺国からの越境通勤者の多さ、国際機関や多国籍企業の集中といった地理的・制度的要因によるものである。また、スイスやオーストラリアでは外国人労働者が全就業者の3割以上を占めており、外国人労働力への依存度が高い。【図2】
【図2】全就業者に占める外国人労働者の割合/International Migration Outlook 2023(OECD)より著者作成
国によって外国人労働者に対する政策は大きく異なることが前提にあるが、このような国際比較をすると、日本の外国人労働者受け入れ政策は依然として慎重な姿勢が見て取れる。
日本企業でダイバーシティが推進されない理由
こうした状況の背景には、日本企業特有の組織文化やマネジメントスタイルがある。年功序列や終身雇用といった慣習が根強く残る中で、多様な人材が活躍できる柔軟な制度設計や評価基準の導入が進みにくい。
また、無意識のバイアス(アンコンシャス・バイアス)も大きな障壁となっている。たとえば「女性は家庭を優先すべき」といった伝統的な性役割態度を支持するような固定観念が、採用や昇進の場面で影響を及ぼしている可能性が指摘されている。
さらに、ダイバーシティ推進が「CSR(企業の社会的責任)」の一環として捉えられ、経営戦略と結びついていないケースも少なくない。これでは、施策が一過性のものにとどまり、組織文化として根付かない。経営層のコミットメントが不十分であることも、推進の障壁障害となっている。
一方で、人的資本経営やESG投資の観点から、ダイバーシティ経営の重要性は今後さらに高まると見られている。投資家やステークホルダーからの情報開示要求が強まる中で、企業は多様性に関する定量的・定性的な指標を整備し、戦略的に取り組む必要があるだろう。
ダイバーシティ経営を推進するために必要なこと
ダイバーシティ経営を単なる理念にとどめず、実効性のある取り組みとして定着させるためには、組織全体での戦略的な推進が不可欠である。ここでは、企業が実際にダイバーシティ経営を進めるうえで必要な4つの要素を解説する。
1. 経営層のコミットメント
重要なのは、経営層の明確な意思表示と継続的な関与である。先述したように、ダイバーシティは人事部門だけの課題ではなく、経営戦略の一部として全社的に取り組むべきテーマである。
経済産業省の報告書でも、トップマネジメントがダイバーシティを経営戦略の中核に据え、継続的に発信・実行することが、組織全体の意識変革と制度定着の鍵であるとされている。
2. 組織内の心理的安全性の確保
多様な人材が活躍するためには、心理的安全性の高い職場環境が不可欠である。心理的安全性とは、従業員が「自分の意見を自由に言える」「失敗を恐れずに挑戦できる」と感じられる状態を指す。
Googleの「プロジェクト・アリストテレス」や「恐れのない組織(邦題)」で知られるエドモンドソン教授の研究でも、心理的安全性が高い組織ほど、学習や創造性、チームの成果が高まることが示されている。心理的安全性を高めるには、上司の傾聴姿勢やフィードバックの質、チーム内の信頼関係の構築が重要である。
3. 公平な評価制度とキャリア支援
多様な人材が能力を発揮し、成長できる環境を整えるには、公平性を担保した評価制度が必要である。経済産業省の報告書でも、性別や国籍に関係なく、同一の基準で評価される仕組みが、多様な人材の活躍を促すとされている。特に、成果だけでなくプロセスやチーム貢献も評価対象とする制度設計が、組織の信頼と納得感を高める鍵となる。
また、育児や介護などライフイベントに応じた柔軟なキャリア支援制度も重要である。女性や外国人、障がい者など、従来の制度では不利になりがちな層に対して、メンター制度やキャリアコーチングを導入するといった施策も考えられるだろう。
4.社内教育・研修の重要性
無意識のバイアス偏見(アンコンシャス・バイアス)を克服し、多様性を受け入れる組織文化を醸成するには、継続的な教育・研修が欠かせない。管理職向けのD&I研修や、LGBTQ+理解促進セミナー、異文化コミュニケーション研修といった研修を実施している企業も多いだろう。
特に、管理職が多様性に対する理解を深めることで、現場でのマネジメントの質が大きく向上すると考えられる。
さいごに
ダイバーシティ経営は、もはや一部の先進企業だけの取り組みではなく、すべての企業にとって不可欠な経営戦略となりつつある。特に近年では、人的資本経営やESG(環境・社会・ガバナンス)投資との連動が強まり、企業の持続可能性や社会的信頼性を高めるうえでも、多様性の尊重が重要視されている。
人的資本経営においては、従業員一人ひとりの能力や経験、価値観を「資本」として捉え、それを最大限に生かすことが求められる。ダイバーシティはその基盤であり、多様な人材が活躍できる環境を整えることが、企業の競争力やイノベーション創出に直結する。また、ESG投資の観点からも、ダイバーシティに関する情報開示や取り組みの透明性が、投資家からの評価に大きく影響するようになっている。
今後の展望としては、D&IやDEIに加え、「Belonging(帰属意識)」を含むDEI&Bの考え方がさらに広がると予想される。多様な人材が「自分の居場所がある」と感じられる組織文化の醸成が、エンゲージメントや定着率の向上につながるからである。特にZ世代やミレニアル世代にとっては、働く環境の心理的な安心感や共感性が、企業選びの重要な要素となっている。
先述したとおり、ダイバーシティ経営は単なる「人材の多様化」ではなく、「多様性を活かす経営」への転換である。そのためには、経営層のリーダーシップ、制度と文化の整備、そして従業員一人ひとりの意識改革が不可欠である。企業がこの変化を前向きに受け入れ、実践していくことが、持続可能な成長と社会的価値の創出につながると言えるだろう。